カウントダウンタイマー
アジア最高の政治家にして、生ける伝説李登輝台湾元総統から直接リーダーシップの極意を学ぶ特別企画

From:リアルインサイト 鳥内浩一

もしあなたが、以下のうち一つでも当てはまることがあれば、このお知らせはとても重要です。

リーダーとして、指導者として、もっとステップアップしたい
 
人生のステージを上げたい、もっとスケールの大きな仕事をしたい
 
自らの影響力を高め、より大きな成果を上げられるようになりたい
 
本物のリーダーシップとは何かを学びたい
 
子供たちが憧れるような生き方をしたい、もっと人格を高めたい
 
誇り高く生きる人生を歩み、己の生きた証をこの世に刻みたい
 
一度きりの人生、ありきたりな一生で終わりたくない
 

なぜなら、それを手に入れることができる最高の機会が、ここにあるからです。

1988年1月13日、台湾の歴史を変える出来事が起きました。

ある人物が、台湾生まれ(本省人)として初めて台湾の総統となったのです。
さらにその後、1996年には最初の国民直接選挙(総統選挙)を導入し、自ら総統に選出されました。

その人物が行った六度にわたる憲法改正によって、一滴も血を流すことなく、台湾は民主化を達成しました。
そして、彼は『台湾民主化の父』と呼ばれるようになりました。

その手腕を評価する声は台湾にとどまらず、「ミスター・デモクラシー」「哲人政治家」と世界中から絶賛されています。

日本においても、政財界をはじめ各方面から高い尊敬を集め、

事実、2015年7月にその人物が来日し、衆議院第一議員会館で講演を行った際には、下村博文元文部科学大臣が「空前絶後」と述べたほどの反響がありました。なんとその人物の講演を聴くために、あのダライ・ラマ法王が講演した時の約2.5倍もの国会議員約300名が一堂に会したのです。

残念ながら、その人物は2020年7月30日にこの世を旅立ちました。そのニュースは世界中を駆け巡り、大きな衝撃を与えました。当時首相を務めていた安倍晋三氏も

「日本と台湾の親善関係、友好増進のために多大なご貢献をされた方。常に日本に対して、特別な思いで接してこられた。多くの日本国民は格別の親しみを持っています。痛惜の念に堪えません」

とコメントしたほどです。

その安倍晋三元首相も、もうこの世にはいませんが、意思を受け継ぐように安倍昭恵夫人はその人物のお墓参りをし、公然の挨拶では安倍氏がその人物を尊敬していたと説明し、「日本人以上に日本のことを理解し、愛し、日本の風習をしっかりと受け継いでいた」とし、安倍氏とも多くの交流があったと明かしています。

その人物とは・・・

李 登輝(り とうき)氏

1923年台湾生まれ。2020年没。元台湾総統。農業経済学者。米国コーネル大学農業経済学博士、拓殖大学名誉博士。京都帝国大学農学部を終戦のため中退。台湾大学に編入・卒業。台湾大学講師、米国アイオワ州立大学大学院を経て、中国農村復興聯合委員会顧問、台湾大学教授。71年国民党入党、72年行政院政務委員として入閣。

台北市長、台湾省主席などを歴任、84年蒋経国総統(当時)から副総統に指名される。88年の蒋経国の死去にともない総統に昇格。96年台湾初の総統直接選挙に当選し就任。2020年7月30日に97歳で逝去。

李登輝(り とうき)氏
2000年任期満了に伴い総統を退任。
2007年第一回後藤新平賞受賞。
『台湾の主張』(PHP研究所 第8回山本七平賞受賞)
をはじめ、近著には『「武士道」解題-ノーブレス・オブリージュとは』(小学館文庫 2006年)・『李登輝実録-台湾民主化への蒋経国との対話』(産経新聞出版 2008年)・『最高指導者の条件』(PHP研究所 2008年)・『李登輝より日本へ贈る言葉』(ウェッジ 2014年)・『新・台湾の主張』(PHP研究所 2015年)・『指導者とは何か』 (PHP文庫 2016年)・『熱誠憂国 日本人に伝えたいこと』 (毎日新聞出版 2016年)
ほか著書多数。

李登輝氏が成し遂げた偉業についてあまりご存知ない方は、氏がなぜこれほどまでに評価を集めるのか、存命時に「生ける伝説」とまで言われたのか、不思議に思われるかもしれません。

それを理解するためには、まず台湾の歴史を知る必要があります。
以下の年表をご覧下さい。

ご覧の通り、台湾は、1624年にオランダに支配されて以来、数百年にわたって、明鄭、清、日本、そして中国国民党という外来政権によって支配されていました。

つまり、台湾の歴史とは、他国によって支配され続けた歴史だったのです。

李登輝氏は、こうした外来政権による支配を終焉させ、台湾を民主化し、数百年に及ぶ外国の支配から、台湾を台湾人の手に取り戻しました。

すなわち、

台湾人の数百年来の悲願を達成させた

ことこそが、李登輝氏が成し遂げた偉業の偉業たる所以ですが、その達成までには、想像を絶する困難がありました。

その最大の困難とは、「中国の法統」を断ち切ることにありました。

李登輝氏の1988年の総統就任時、台湾を統治していたのは、蒋介石に始まった国民党政権です。
彼らの統治時代、43年間もの間、台湾では人権や民主主義が蹂躙され続けていました。

憲法は凍結され、世界最長とされる38年間もの戒厳体制が敷かれ、国防・治安などの権限を総統に極度に集中させ、独裁政治が行われ、住民による民主化要求は、国家反逆罪として弾圧されました。

令状なしでの逮捕が認められたため、深刻な人権侵害をもたらしただけでなく、国会の選挙も凍結され、中国大陸で選出された議員が半世紀近くも居座り続け、彼らのことを「万年議員」、国民大会や立法院、監察院は「万年国会」と呼ばれていたのです。

なぜそんなことになったのか。

それは、一言で言えば、国民党政権・中華民国政府が「中国の正統政府」を自任し、中国共産党が統治する中国大陸への反攻を目指していたため、

台湾を国民党の「軍事基地」とみなしていた

からです。

それを正当化するために、彼らは台湾が中華民国領土の一部に過ぎず、中華民国の国会を台湾住民のみによる投票で改選することはできないと主張し、選挙を凍結。

人権や民主主義を蹂躙する一方で、形式的には中華民国憲法が施行され続けていることを喧伝します(実質的には、後に触れる動員戡乱時期臨時条款により、憲法の効力も凍結)。

これによって生まれた「万年国会」と中華民国憲法による“正統性”と「法統」と呼び、民主化要求を「法統」を犯す「法理独立」だと決め付け、弾圧したのです。

そして、李登輝氏の総統就任時にも、民主改革を求める凄まじい民意の声にも関わらず、国民党の保守勢力は、「法統」で約束された地位を手放そうとせず、民主改革を求める声に耳を傾けようとはしませんでした。

その問題を解決するため、李登輝氏は、「その病巣はただ一つ」と見抜いた憲法の改正に着手します。その最大の目玉は、「動員攪乱時期臨時条款」を廃止することにありました。

これは、台湾と中国は内戦状態(国共内戦)にあるとして、憲法を停止して国家総動員体制を敷くことを可能にしたもので、独裁政治を可能にし、人権が蹂躙されたのも、選挙が凍結され、大陸出身の「万年議員」「万年国会」が権力の上に居座り続けたのも、これが癌だったのです。

これを廃止するため、自身が第8代総統になるための選挙で支持を依頼した600人の議員全員を説得し、引退させ、1991年、「万年議員」は全員退職し、「万年国会」問題は解決しました。

さらに94年7月、台湾省・台北市・高雄市での首長選挙を決定し、同年12月に選挙を実施。

国民党内では依然として党こそ国であるという「党国」体制がまかり通っていて、個人の下に権力やあらゆる利益を集中させたがる状況にあった悪しき伝統を、100人の党員が反対する中で打ち絶ちました。

さらに総統直接選挙の実現に向けて行動。

国民党が提出した間接選挙ではなく、直接選挙を主張し、国民大会において、第9期総統より直接選挙を実施することを賛成多数で決定させます。

同時に総統の「1期4年・連続2期」の制限を付し独裁政権の発生を防止する規定を定め、1996年、初めての総統直接選挙において54.0%の得票率で当選し、

台湾史上初の民選総統として第9期総統に就任

したのです。

いかがでしょうか?李登輝氏の卓越したリーダーシップ、高い精神性の一端が、お分かり頂けましたでしょうか?

李登輝氏の偉業とは、このように周囲の猛烈な抵抗に遭いながら、「法統」を錦の御旗として掲げる国民党の主席として、決して甘んずることなく、台湾人の数百年来にわたる悲願を成し遂げたことにあります。

その根底にあったのは、他でもない、台湾人としての強いアイデンティティでした。

そして李登輝氏は、台湾が台湾であるために、さらにもう一歩踏み込んで、台湾を中国の一部とみなす「一つの中国」という思想から台湾を解放するという大仕事に取り組んでいきます。

国民党が自らを正当化する拠り所とした「法統」とは、国民党が生み出したものなどではなく、中国が5千年間もの間続けてきた閉鎖的な帝王政体である、と李登輝氏は言います。

したがって、本当の意味で、台湾を台湾人の手に取り戻すために、

「中国の歴史は、黄帝以降の夏・殷・周から明、清に至るまで、脈々と同じ流れを受け継いできた大中華帝国体制であり、その「一つの中国」という概念の外にある者は、即ち化外の民であり東方と北方の蛮族の国とみなす」

思想を持つもう一つの中国、すなわち、

中国共産党による束縛から台湾を解放

する必要があったのです。

それを国際社会に対して表明したのが、99年に「ドイツの声」の取材に対して氏が語った次の言葉でした。

当然この発言に対して中国共産党は猛反発をし、「武力解放」や軍事威圧さえちらつかせましたが、 台湾を台湾人の手に取り戻すために、どんな相手に対しても、怯むことなく本質を貫いたのです。

そろそろ、李登輝氏が「ミスター・デモクラシー」「哲人政治家」とも称され、世界中から絶賛される理由がお分かり頂けたでしょうか。

今を生きる人物の中で世界最高のリーダー

と言っても、決して過言ではないでしょう。

その世界最高のリーダーが発した、注目すべき発言があります。

私はね、二二歳まで日本人だったんですよ、岩里政男という名前でね。
私は日本人として、非常に正当な日本教育を受けた。後に中国の教育も受け、アメリカにも学びましたが、私の人生に一番影響を与えたのは、この日本時代の教育だったんです。

李登輝 小林よしのり(2003)李登輝学校の教え pp75

 

つまり李登輝氏は、「自らを作ったのは日本の教育だ」と言っているのです。
さらに、総統になる上での重要な通過点となった、蒋経国から副総裁に指名された時の理由についても、このように述べています。

私の想像ですが、おそらく私の日本人的な部分を評価したのではないでしょうか。私にはどうも日本人的なところがあるらしく、そこが蒋経国の気に入ったようです。責任感が強いし、嘘はつかない。おべっかも使わない。だから国民党員でもなく、国民党等とは無関係だった私を登用したのです。

李登輝(2014)李登輝より日本へ贈る言葉 pp68,69

 

それでは、李登輝氏が受けた日本の教育とは、一体何だったのでしょうか。
李登輝氏の「日本人らしさ」の源流はどこから来たものなのでしょうか。

それを学ぶ上で最も近道なのは、1895年から1945年までの50年間の日本統治時代について学ぶことです。

なぜなら、この時代の日本人によって李登輝氏は日本の教育を受け、この時代の日本人に色濃く影響を受けているからです。

そして、それを学ぶことは、あなたをリーダーシップのさらなる高みへと誘うばかりでなく、戦後教育の中で日本人が失ってしまった本物の日本精神を学ぶことにも繋がります。

さらには、なぜ台湾がこれほどまでに親日なのかも理解できるようになるでしょう。

李登輝氏は、「この50年間をいかに評価すべきなのか?」という問いに対して、このように述べました。

この問いにはひと言で結論が出る。日本は台湾を近代化させた。日本統治によって、台湾は伝統的な農業社会から、近代社会に変貌したのである。

李登輝(2015)新・台湾の主張 pp20

 

それでは50年間の日本統治は、どのように台湾を近代化させたのでしょうか?
全ての人物をここで紹介することはできませんが、5人の重要な日本人をご紹介します。

#1.児玉 源太郎

1898年、日本の台湾統治は、まだ3年目であり、あちこちに反抗勢力が残り、治安の確立も、産業の発展も立ち遅れていた。ここで第4代台湾総督として任命されたのが、児玉源太郎です。

児玉は、第4代台湾総督に就任すると、後に紹介する弱冠42歳の後藤新平を台湾総督府の民政長官に抜擢しました。 そして台湾の行政機構の大改革を実施。6県、65署の役所を台北、台中、台南の3県、44署に統合簡素化すると同時に県知事、署長以下の人員整理を断行し、勅任官以下、1,080人の官吏を罷免しました。 約17万人いたといわれるアヘン中毒患者の撲滅にも積極的に取り組みます。

児玉源太郎
経済政策では、殖産局長に農業経済学および植民地経済学者の新渡戸稲造を迎え、さとうきび栽培などの生産を1902年の50万トンから1905年の130万トンへと約2.5倍に激増。

台湾総督としての8年間に、西部縦貫鉄道、基隆港築港、通貨・度量衡整備、統計制度確立、台北医学校設立、予防注射強制、下水道整備、衛生状態改善、土地所有の権利確定などの諸政策を断行しました。

当時、日本の国家予算が約2億2,000万円という中で、約6,000万円という膨大な事業資金を台湾統治に投入しました。

 

#2.後藤 新平

後藤新平は、民政長官として台湾で働いた8年7ヶ月で、衛生環境の改善に並々ならぬ努力を払い、歴史上類を見ないほどの発展を台湾にもたらしました。伝染病などを減らすため、「台湾家屋建築規則」及び「台湾汚物掃除規則」を公布し、都市の衛生環境の改善をし、その2年後には、公医費、伝染病予防費、消毒費、井戸地下排水、汚水清掃費、衛生品検査費、水道水費などの各地の衛生経費は、地方税で賄われるように制定しました。

そして、1905年には「大清潔法施行規則」を交付し、3月と9月の年2回全台湾で定期的に大掃除をすることとし、同時につねに各家庭が清潔に保たれているかの抜き打ち検査を実施。

後藤 新平
こうした生活環境や医療環境の改善などにより、1905年の年間死亡者数が千人当たり341人だったものが、1912年には、20人以下へと激減。

さらに当時の台湾ではアヘン中毒者が蔓延していましたが、彼の「阿片漸禁策」により、1900年には16万9千人いたアヘン常習者は1917年には6万2千人に、1928年には2万6千人にまで減少し、その4年後の1932年には500人以下にまで減り、1945年のアヘン根絶を行うきっかけを作りました。

その結果、台湾人の平均寿命は30歳前後から、終戦時には60歳前後へと驚異的な伸びを見せ、「一世紀にも等しい」と言われるほどの発展を台湾に遂げさせる活躍をしました。

李登輝氏は、後藤新平の貢献について「今日の台湾は、後藤新平が築いた基礎の上にある」と述べ、「後藤新平は、私にとって偉大な精神的導きの師である」と語っています。

 

#3.新渡戸 稲造

児玉と後藤が台湾農業振興のために、三顧の礼で迎えたのが、日本で最初の農学博士・新渡戸稲造です。 新渡戸は、半年かけて台湾全土を巡り、製糖産業に目をつけます。

その後、パリで開かれた万国博覧会へ出かけたのを機に、欧米諸国及びその他の植民地の製糖設備を調査して歩き、帰途はエジプトとジャワへ寄り、製糖業経営の実地視察、殖産局長心得を学んで帰ると、製糖政策の具体策を盛り込んだサトウキビの品種改良、栽培法、製造法などの意見書「糖業改良意見書」を児玉と後藤に提出。

新渡戸 稲造
彼の意見書を基に制定された「糖業奨励規則」によってサトウキビ農家には補助金を支給し、品種改良や灌漑施設の整備など、耕作意欲を刺激する政策が進められました。

同時に、機械化された大規模な製糖工場の建設を促し、従来の手作業を主とした製糖作業の機械化を推進し、農業と工業の両面から発展させました。

この結果、台湾の製糖業は、1902年の生産高50万トンからわずか3年後の1905年には約2.5倍130万トンに激増。その前後を含めると、1900年に3万トンだった産糖は、40年後の1940年には160万トンとなり、台湾は世界有数の生産地となったのです。

李登輝氏は、高校時代に新渡戸稲造の著作に出会い、「新渡戸稲造という日本人の偉大さに心底感服したことを覚えています」と述べています。

そして、新渡戸の後を追いかけて農業経済学への道を進んだ氏は、さらに「武士道」に感銘を受け、京都大学へ進学。その後の波乱万丈の道のりの中でも、新渡戸の言葉や精神が自らを鼓舞してきたと話し、「後藤新平は指導者としての先生。新渡戸稲造は人生の先生」と公言しています。

 

#4.八田 與一

台湾で最も愛され、神様のように崇められ、台湾の歴代総統も彼の墓前参拝に訪れるほど恩人として慕われている人物が、八田與一です。 八田の業績は、1930年、当時としては東洋一の先進的なダムと膨大な水路を整備し、不毛の土地を台湾最大の米作地帯に変えたことにあります。

不毛と呼ばれた嘉南平野は香川県ほどの大きさで、台湾全体の耕地面積の6分の1を占める広大な土地でした。 また亜熱帯性気候で一年に2、3回もの収穫を期待できる地域でしたが、河川は中央山脈から海岸線まで一気に流れ落ちるために、雨期には手をつけられないほどの暴れ川となり、乾期には川底も干上がるありさまでした。

八田 與一
八田は、この嘉南平野に安定した水供給をする灌漑施設を建設することで、この地を台湾の穀倉地帯にできると考え、「嘉南平野開発計画書」を作り上げました。

予算は総額4200万円、これは当時の台湾総督府の年間予算の三分の一以上に及ぶ規模でした。

計画の第一にあった烏山頭ダムは、満水時の貯水量1億5千万トン。黒部ダムの75%に相当し、土石を水圧で固めながら築造するという当時世界最新のセミ・ハイドロリック・フィル工法をわが国で初めて採用。

ダム湖に水を引くために、直径8メートル55センチ、長さ4キロメートルのトンネルを掘り、毎秒50トンの水を流し込む。それは、当時最大のトンネルだった東海道線の熱海の丹那トンネルよりも15センチ大きい規模でした。

給排水路の全長は1万6千㎞、万里の長城の6倍、地球を半周する長さで、日本最大の愛知用水の13倍にも及び、さらに給水門、水路橋、鉄道橋など、200以上もの構造物を作るというその壮大な計画の実現によって、水田は30倍に増加し、ダム完成から7年後の1937年には生産額は工事前の11倍に達し、サトウキビ類は4倍となり、その業績は台湾の中学校の『社会2・農業の発展』に詳しく記載されています。

 

#5.明石 元二郎

第7代台湾総督として赴任した明石元次郎の在任は1年4ヶ月と極めて短い期間でしたが、短期間で現在にもつながる大きな功績を残しました。 最初に手掛けたのは、水力発電事業の推進と教育制度の確立でした。

水力発電事業に関しては、彼が赴任する前年に水力発電の企画案が日本政府に持ち込まれていたものの、当時の台湾総督府年間予算を超えるあまりに膨大な資金投資にその要請を一蹴されていたものを、見事な政治手腕で日本政府を説得しました。 そして完成した大観水力発電所の発電量は1万5千キロワットで、当時の日本国内にもない大がかりな発電所群となり、今でも台湾の水力発電の半分をここで供給しています。

明石 元二郎
教育制度の確立に関しては、日本人と台湾人の区別を少なく教育を受けられるようにするという、当時革命的だった「台湾教育令」を制度化しました。

これが後の台湾の発展に大きな力となり、台北師範学校、台南師範学校をはじめ多くの学校を開設し、李登輝氏をはじめ、数多くの台湾リーダーが誕生するきっかけとなりました。

さらに注目に値するのは、1945年時点で50年間日本領であった台湾の就学率が92パーセントに達していたことです。400年間もオランダの植民地であったインドネシアの就学率がわずか3パーセントだったことを考えると、明石の功績には目を見張るものがあります。

そのほかにも司法制度の改革、嘉南銀行の設立、台北高等商業学校の設立、道路や鉄道など交通機関の整備、森林保護の促進など精力的に事業を進めました。

没後、彼の墓を建てるために彼を尊敬してやまない台湾人からたちまち多額の寄付金が寄せられ、「軍人中、皇族方を除いては明石のような墓を持ったものはない」と言われるほど壮大な200坪もある墓が作られました(現在は別の場所に移されています)。

 

李登輝という世界最高のリーダーは、いかにして生まれたのか。
彼を育て、台湾を近代化した偉人たちの歴史、その桁違いのリーダーシップ、日本精神について、少しはご理解頂けたでしょうか。こうした偉人の生き様、彼らが残した歴史に直接触れることの価値をお分かり頂けたでしょうか。

日本の台湾統治は、あくまでも日本の国益のために行ったものです。それを忘れてはなりません。
しかし、統治した国や地域を発展させるという行為は、世界史上類を見ないことであり、結果的に日本統治時代の恩恵が今の台湾にも継続して残っているということは、紛れもない事実です。

そしてそれが、台湾の人々の今の親日感情に繋がっていることは、言うまでもありません。
その親日ぶりは、感激のあまり涙が出るほどです。

2011年3月11日、日本を襲った東日本大震災で、世界最高額となる義援金2億5200万ドルの支援をしてくれたのは、面積は日本の約10分の1、人口は約5分の1、GDPは約9分の1の小国、台湾でした。
 
台湾の高校生の修学旅行先の9割は、日本です(年々増加傾向にあります)。
 
台湾から日本への旅行者数は、2013年221万人、2014年283万人、2015年368万人、2016年417万人、2017年456万人、2018年475万人と年々増加傾向にあり、人口が約5分の1であるにも関わらず、日本から台湾への旅行者数197万人(2018年)を大きく上回ります。
 
日本の調査会社アウンコンサルティングが2019年に行ったアンケートでは、100人中98人の台湾人が日本を「大好き」「好き」と答えてくれています。
 

しかし、日本人は、そんな台湾人の気持ちに感謝を示すどころか、何度もないがしろにしてきました。

東日本大震災における台湾支援に対して、当初日本政府は、中国共産党の顔色を窺って、謝礼広告を掲載しませんでした(それを見かねた民間人が行った募金活動「謝謝台湾計画」によって、最終的には、無事謝礼広告は掲載されました)
 
日本人として生まれ、京都帝国大学で青春時代を送り、ずっと日本を愛し続けてきた李登輝氏の訪日を、同じ理由で長らく拒み続けてきました(それが初めて許された時の理由は、「命の危険があるから人道上仕方がない」という極めて消極的なもので、その行動を「病気治療」目的に厳しく制限し、政治的発言を一切禁じました)」
 
95年に日本が議長国となって大阪でAPEC(アジア太平洋経済協力会議)の総会が開かれた際に、同じ理由で、わざわざ台湾に人を派遣して「李登輝氏が参加しないようにしてほしい」と伝えに行きました
 

 

今でこそ、このような失礼極まりない行いは聞かなくなりましたが、台湾の人々に感謝を示せているかどうか、恩返しができているかどうかという意味では非常に疑問です。

いっぽう、日台友好は、日本の安全保障という意味でも極めて重要な意味合いを持ちます。

原油の99.7%を海外に依存し、穀物・豆類などの食料も輸入に頼っている日本の物資輸送の99%を海運が担っている中で、シーレーン(海上通商路)は日本の生命線です。

そして、この日本のシーレーンにおいて最も重要な位置にあるのが、台湾と沖縄なのです。
(中国共産党が台湾と沖縄を付け狙う理由もここにあります)

実際に台湾の地を訪れ、偉大な先人の遺した歴史に触れることは、

世界最高の指導者を育てた先人から本物のリーダーシップを学べるだけでなく、
 
そこに流れる本物の日本精神が、あなたのDNAを呼び覚ましてくれるだけでなく、
 
先人の偉業に感謝を示し、それを今も忘れずにいてくれる台湾の人々に感謝を示し、
 
日本と台湾の未来のために真の友好関係を築くための足がかりとなる、
 

最高の機会になる、と信じ、それを手にして頂くために、2015年からこれまで6回にわたり、「日台友好歴史探訪ツアー」と題した3泊4日のツアーを実施してきました。

李登輝元台湾総統に直接学ぶ 日台友好歴史探訪ツアー

 

この企画には、各業界の第一線で活躍されているトップリーダーの方々、のべ400名以上に、日本全国のみならず海外からもご参加頂いているのですが、今まで何度もセミナーや講演会を企画してきた中でも、非常に満足度の高いものになりました。
その証拠が、このアンケート結果であり、

Q:このツアーを、友人や知人に勧めたいと思われますか?

このように、びっしりと書かれた熱いご感想の数々です。

李登輝元台湾総統に直接学ぶ 日台友好歴史探訪ツアー

このように極めて満足度の高い、非常に意義深い企画ではありますが、実は、

もう開催できないと思っていました

正直なところ、このツアーの価値は、体験した人には分かっても、体験していない人にはなかなか理解できない部分が非常に多いからです。

実際、国交を断絶していることもあり、台湾人の方々が口を揃えて「片思い」というように、日本人は、驚くほど台湾のことを知りません。

なぜこれほど台湾が親日なのか、日本の先人が台湾に何を残したのか。
壮絶な過去を乗り越えて、それを今も守り続けてくれている台湾人の方々が、どんな思いで、どれほどのことをしてくれているのか。今の日本人についてどう思っているのか。

それを知らないことは罪悪であると言えるほどの重要な事実を、ツアー募集のたびに、様々な角度からお伝えしてきましたが、毎回、言葉で間接的に伝えることの難しさを感じるばかりでした。

にも関わらず、前回募集した際には86名の方から参加表明をいただきました。そして、コロナ禍で延期になった際にも「必ず参加しますので、また開催してください」と応援してくださったのです。

そのとき、私の頭にある想いがよぎりました。

今まで何度も台湾に渡って現地の方々と接し、後に述べる事実、このままだと手遅れになってしまうという危機感を改めて感じたこと、参加された方々から口々に「これからも続けてほしい」と熱く語られたこと、その意義を改めて噛み締め、状況としては厳しくとも、続けることを決意しました。

そして今年も開催するのが、このツアーです。

李登輝元台湾総統に直接学ぶ 日台友好歴史探訪ツアー

 

 

1日目 概要スケジュール

午前中、羽田・名古屋・福岡いずれか最寄り(関西在住の皆様は名古屋発が非常に便利です)の空港から空路、台北へ向かいます。
空港到着後、添乗員が案内するバスにて早速市内に向かいます。見学する場所は次の通りです。

◆ 台湾新幹線

その後は、バスで台北駅/桃園駅へ移動した後に移動手段として乗るのは、台湾新幹線です。

正式名称は台湾高速鉄道ですが、車輌など日本の新幹線技術(JR東海・JR西日本共同)を投入したため、台湾においても「台湾新幹線」と呼ばれることもよくあるそうです。

最高速度は時速300キロで、在来線では4時間かかっていた台北(台北市)-左営(高雄市)間の約345キロを最速96分で結び、台湾の交通環境、ライフスタイルを一変したとさえ言われています。

さらに、スケジュールは遅れない、車内も綺麗にされているなど、日本の新幹線さながらの運転が行われ、2011年に中国で発生した脱線事故に際しては、台湾高鉄の担当者は取材メディアに対して、「日本と同じシステムを採用したので、あのような事故はありえない」と語ったといいます。

日本の新幹線技術の輸出第1号となったこの鉄道に乗り、日台友好の絆を感じながら、台南までの旅をお楽しみください。

 

◆ 嘉義農林学校

まず最初に訪問するのは嘉義農林学校(現在の嘉義大学)です。

現在も台湾は野球が盛んな「国」として有名ですが、日本統治時代に台湾が今の甲子園大会へ参加できたことをご存知の方は少ないと思います。

日本人のみで構成された学校が毎年台湾からの代表として甲子園に出場していた当時、近藤兵太郎は新任監督として嘉義農林学校へ就任しました。

近藤監督は日本人のみを贔屓することなく、守備に長けた日本人、打撃に長けた漢人、韋駄天の如く足の速い高砂族とバランスの良いチームを作り上げていき、ついに台湾大会で優勝、甲子園大会への出場を決めました。

さらに、甲子園大会が始まると嘉義農林学校は連勝を重ね、一気に注目を浴びました。そして、野球の強さだけでなく、素晴らしい姿勢・精神を持ったチームであることが理解されるようになると、本土の野球ファンも魅了され、嘉義農林学校を応援するようになったのです。

近藤監督率いる嘉義農林学校の活躍は映画「KANO 1931海の向こうの甲子園」として、2014年に台湾、2015年には日本でも上映されました。

今回はこの甲子園出場に参加した当時の近藤監督が率いたチームに在籍していた方々とお会いし、ミニ講演を開催する予定です。

そのチーム作りは、日本中をわかせたラグビーW杯の「ONE TEAM」を彷彿させます。近藤監督のリーダーシップ、チーム作りやコミュニケーション、そしてその源流にある日本精神まで学ぶことが多くある貴重な機会となるでしょう。

 

◆ 特別ゲスト講演
日勝生加賀屋 元支配人 德光重人氏

台南へ到着後、バスでホテルへ移動し、チェックイン後にこのツアーでの学びをさらに深められる特別ゲストによる講演をご用意しています。

そのゲストとは、、、あの有名旅館「加賀屋」を台湾に開業させた立役者德光重人氏です。

日勝生加賀屋 元支配人 德光重人氏
1961年石川県金沢市生まれ。金沢大学教育学部卒業後、株式会社ザ・ビッグスポーツでスポーツクラブの運営を行い、1995年台湾現地法人 鉅運股有限公司の総経理となる。その後、2004年に日勝生加賀屋国際温泉飯店の総経理となり、2010年12月18日に「日勝生加賀屋」をオープンさせる。

八田技師夫妻を慕い台湾と友好の会 世話人(金沢)
財団法人紀年八田與一文化芸術基金会(台湾)
石川県観光親善大使(台湾)
台湾石川県人会 世話人
台湾日本人会 理事 なども務めている。

台湾在住20年以上の德光氏は、並々ならぬ苦労の末に「日勝生加賀屋」をオープンさせました。

そんな德光氏の講演タイトルは、「天命を知り使命として人事を尽くす」。
タイトルを聞いてもあまりピンと来ないかもしれませんが、德光氏の半生を知れば、きっとその真の意味がお分かり頂けると思います。

ふとした縁から、勤めていた会社での事業立ち上げのために上陸した台湾。

仕事上の数々の困難に立ち向かう一方で、德光氏は、日本人とは何かを考えさせられる感動の体験、日本と台湾の歴史を深く知るきっかけになる驚きの経験、死生観を持つに至る師との出会い、同じ金沢出身で、台湾で神と崇められる八田與一の没後60年慰霊祭での出会いを経て、自らの天命を知るに至ります。

きっかけは、SARSの影響による会社の台湾撤退と帰国命令。
その命令を拒否し、日本人として台湾に貢献すること、八田與一の顕彰活動を中心とした日台民間交流活動をライフワークとすることを決めた德光氏の人生は、その時から、故郷石川にある加賀屋の台湾進出に向かって展開し始めます。

その道のりは、決して平坦ではなく、むしろ絶体絶命の危機の連続でした。
その危機をどのように乗り切ったのか、そして台湾という異国の地でナンバーワンの座まで上り詰めることができたのか。その実体験にきっとあなたは鳥肌が立つことでしょう。

今までのお話でお分かりいただけたと思いますが、德光氏は、李登輝氏を育てた日本の偉人の卓越したリーダーシップと日本精神の源流に直に触れ、自分の中に流れるDNA、「日本人とは何か」という本質に目覚め、卓越した成果を上げることができた先駆者なのです。

すなわち、德光氏は、今回あなたがこのツアーで得られる価値を先に経験した先駆者なのです。

そんな德光氏の講演は、リーダーシップについて、海外での事業成功について、海外での「おもてなし」文化浸透について、李登輝氏について、日台友好の歴史について、日本精神についてあなたにさらなる学びを与えてくれることでしょう。経営者・リーダー必聴の講演です。

講演時間は60分で、以下のような内容をお話し頂く予定ですが、皆様に最高の体験をご提供できるよう、最後まで内容を精査します。

そして德光氏にも、あなたから直接質問することができます。あなたが「ここを知りたい」と思う内容を、ぜひ直接德光氏にぶつけ、その貴重なアドバイスを持ち帰ってください。

 

◆ 夕食会(パーティー)

講演終了後、ホテル内の宴会場で、参加者同士の交流のために夕食会(パーティー)を開催します。

このツアーに集うメンバーは、世界最高の指導者から本物のリーダーシップを学び、本物の日本精神を学ぶために、日本と台湾の未来のために、決して安くはない参加費と4日間の時間を投資することのできる極めて志の高いメンバーです。

実際、以前のツアーでは、さまざまな業界の最前線で活躍している実力者・著名人が、100人以上集まりました。

ここでできる人脈の価値も、計り知れません。

以前、参加された方からは、「何より今回出会った同じ想いを共有できる人たちと出会えたことが一番の財産となった」というご感想も数多く頂きました。

ぜひこの機会を活用し、最高の体験・学びに加えて、ここで最高の仲間も見つけてください。

2日目 概要スケジュール

 

2日目の最初は、台湾で日本軍人が神と祀られている場所へと行きます。そこは、、、

◆ 鎮安堂飛虎将軍廟

鎮安堂飛虎将軍廟とは、先の大戦で台湾に配属されていた日本海軍の杉浦茂峰兵曹長(戦死後に少尉昇進)が祀られている場所となります。「鎮安」とは廟の正面には邪気を沈め、民を安心させるという意で、「飛虎」とは戦闘機又の意で、「将軍」は神として奉られる勇士の尊称です。

杉浦がなぜ神として崇め祀られているのかというとそれは死に際の決死の覚悟が関係しています。

それは、大東亜戦争末期の昭和19年、米軍による大規模な空襲が開始された時まで遡ります。
杉浦は日本海軍の兵曹長として米軍の戦闘機を迎え撃つべく零戦を操縦していました。

数で勝る米軍に、日本軍は苦戦を強いられ、杉浦の零戦も米軍からの被弾を受けて尾翼から出火し機体爆発が迫る危機に見舞われました。杉浦の眼下には村の集落が広がりそのまま墜落すれば村民に大きな被害が出てしまう状況で、機体が集落への墜落し、大火災になることを避けようと、機首を上げ、上昇態勢をとりました。結局、零戦は空中爆発し、杉浦は直前に落下傘で脱出したものの米軍機の機銃掃射を浴び戦死していました。

杉浦は、零戦機の墜落によってすぐに落下傘で脱出すれば命が助かるのにもかかわらず、村民たちに被害がもたらされないよう集落を戦火から救うために、自分の命を犠牲にして、自ら郊外まで飛行機を飛ばし、他人の命と自分の命の二者択一を迫られた時、自分の命を顧みず、迷うことなく他人の命を選んだのです。

そして、話はこれで終わりではありません。戦後、村に白い服を着た幽霊が現れるようになりその幽霊が、杉浦少尉の英霊だったのです。村人たちは相談し、村民全員一致の総意で、零戦の墜落地に5坪ほどの祠を建て、村民たちを守ってくれた杉浦に、台湾人の最高の謝恩の表し方として、そこに祠をたて、永久に恩徳を顕彰したいと考えたのです。

その後、杉浦少尉が、村人たちを守ってくれたおかげで、自分たちは生き残り、子孫繁栄ができる。祠は、霊験あらたかなため、信徒がどんどん増え、1993年には、多くの村人の協力で、この祠は、敷地50坪のきらびやかな廟に建て替えられ、今もなお、台湾人の人々の手によって、民間で維持運営されているのです。

この廟の左右には、日本の国旗である日の丸と、台湾の旗が掲げられ、鎮台には旭日旗がかけられ、
また周囲の壁には、様々な詩が掲げられ、そこには「正義、護国、英雄、忠義、大義」などの語が並んでいます。そして廟では今でも、朝夕の二回、火の着いたタバコが7本ずつ捧げられ、また朝は「君が代」、午後には「海ゆかば」が流れるようになっています。

ここを長年管理している曹芳さんという方がいますが、「杉浦少尉は命をかけ村を守った。
今度はわれわれが神となった少尉を守る」という言葉は、あなたの胸に突き刺さること間違いないでしょう。

◆ 鳥山頭ダム・八田與一記念館・八田與一記念公園

その後に向かうのは、鳥山頭ダムと八田與一記念館と八田與一記念公園です。
烏山頭ダムの建設は、現在の金額に換算すると、約5000億円規模にもおよぶ大工事でした。 その完成によって、100万人もの農民が豊かな生活を送ることができるようになったと言われています。

ここを訪れる時、あなたは、その壮大な敷地、ダムの美しさ、ここから見える絶景と、八田與一の功績に驚かれることでしょう。そして、台湾で最も愛される日本人の偉業に、心から感動することでしょう。

当時世界最新の工法を採用して建築されたこのダムを、「烏山頭ダム水利システム」として世界遺産に登録しようとする活動もあるそうです。

そして、ここでは今でも毎年八田の慰霊祭が行われ、台湾の歴代総統が彼の墓前参拝に訪れるほどです。

その墓前にある銅像は、戦後すぐは、蒋介石が日本の形跡を消すことに躍起になっていたため、烏山頭管理事務所の人達は、こっそりとこれを別のところに保管していたそうです。

そして1981年、ようやく八田與一の銅像は、元の場所に戻ることになりました。

ここでも、八田がどれだけの偉業を成し遂げたのか、いかに台湾の人々に愛されていたのか、台湾の人々がいかにその記憶を守り抜いてくれたか、その歴史に直に触れる感動はひとしおでしょう。

この烏山頭ダムと2011年にできたばかりの八田與一記念公園を結ぶ道路を目にした時、あなたはもっと驚くかもしれません。

この記念公園オープンに合わせて、八田の功績を後世に残す趣旨のもとに、道路名が「八田路」と改められたのです。このような事実を、私達は知らなくてよいのでしょうか。

その記念公園ですが、2009年に国民党の馬英九総統が「南部に来る日本人観光客が必ず訪れる名所にしたい」と表明して建設を指示したというから驚きです。 ここでは、廃虚となっていた八田家族の宿舎を復元し、宿舎内には一家の生活が感じられる品物も展示してあります。

八田家以外にも、ダム建設のために家族で住んでいた技師の宿舎も復元されています。 烏山頭ダム、八田與一記念公園の双方に記念館があり、八田の業績に関する資料や私物が展示され、日本語の解説も流れております。

また、台湾でも放映された「パッテンライ!」(八田が来た)という映画のDVDもあり、台湾人にとって、八田がどれだけ重要な人物であったかも感じることができます。

 

このツアーでの学びをさらに深められるようにするため、2日目にご講演頂く、德光重人氏にこれらの場所をご案内頂きます。
今回は、德光氏のご厚意により、鳥山頭ダムでは、普段は立ち入ることのできないエリアを見学することができます。また、八田與一の知られざる秘話も德光氏に直接ご紹介頂きます。

皆様のご質問にもお答え頂きますので、是非とも有意義なお時間をお過ごしください。

◆ 富安宮

その後は、富安宮を訪れます。ここには日本の警察官であり、台湾において土地神として崇められて「義愛公」の名で愛されている森川清治郎巡査が祀られています。

森川巡査は、1897年(明治30年)に渡台し、その3年後に現在祀られている副瀬村に赴任しました。この村は痩せた土地と浅瀬の海という厳しい環境にあって貧しい生活を余儀なくされていたとともに伝染病が猛威をふるい、匪賊と言われるゲリラが頻繁に出没し、治安にも悩まされていました。

こうした中、森川巡査は、村の治安改善に尽力したのみならず、識字率が非常に低かった村において、何よりも先に教育の普及が大切と、私費を投じて、日本から教材を取り寄せ、教師を雇い、寺子屋を開き、時には、自らも教鞭を取ることもあったそうです。

衛生改善にも地道な指導を行いました。また、農地の改良や農耕技術の改善についても、自ら鍬を持って率先垂範で指導し、よく働く者には、自費で農機具を進呈しました。

森川巡査の人生は思いも寄らぬ形で、幕を閉じました。森川巡査が副瀬村に赴任した翌年から、台湾南部に大干ばつが発生。その翌年はほとんど雨も降らず、干ばつがいよいよ激しさを増す中、総督府は新たに漁業税を課したのです。

ただでさえ大干ばつで農業に大きな影響を与えていたところに、漁業にまで課税されては、
とても生き延びていけない。貧しい村人たちは、税の軽減をお願いできないかと森川巡査に嘆願しました。

納税は国民の義務だが、村びとたちの貧苦を誰よりも知っている森川巡査は、上層部に上申することを約束、台南州東石支庁まで出向き、必死に村民の実情を訴えます。ところが、当時の東石支庁長は激怒し、森川巡査が村民を扇動しているものとして、逆に戒告処分に処してしまったのです。

村に戻った森川巡査は、村民に、沈痛な面持ちで陳情が届かなかったこと、それどころか誤解されて戒告処分になり、同僚や村民にまで迷惑をかけることになってしまったと声震わせながら伝え、
ひたすら自らの非力を詫びます。

そして2日後。「疑われては弁解の術もない。覚悟する。」と森川巡査が拳銃で自らの喉を打ち砕いて自決したのです。享年42歳。森川巡査を父のごとく慕い、敬愛していた村びとたちは、変わり果てた姿の巡査にしがみつき号泣しました。

話はここで終わりません。そこから約20年の歳月が経過します。1923年に副瀬村の隣村で脳炎が発生し、副瀬村のある村民の夢枕に、制服姿の警察官が現れました。そして、「生水や生ものに注意せよ」と告げて消え去ったそうです。

この村民はすぐに村にこのことを伝え、脳炎の被害を防ぐことができました。村民たちは、自分たちの親や祖父母に心から尽くしてくれた森川巡査が、死後も自分たちを護ってくれていることに心から感謝しました。

そして、直ちに協議して森川巡査のご神体を作ることにし、富安宮に「義愛公」と呼んでお祀りし、
現在では南部・高雄、北部・新北市など10か所以上に分祀(ぶんし)され、今日もなお、「観音様、媽祖様、義愛公様」と親しまれ、地元の人々の信仰を集め、線香の絶えることがありません。

富安宮に行けば、まるで本人に会ったことがあるかのように遺徳を語ってくれる人で溢れていて、 自分の生き方を考えされされること間違いないでしょう。

その後は、台湾新幹線で台北へと向かいホテルへチェックインをします。夕食は希望者の方のみ、オプショナルツアーを開催します。台湾の美味しい料理と台湾の雰囲気を存分に味わえるツアーを開催する予定ですので、是非ともこちらもご参加下さい。

 

3日目 概要スケジュール

3日目のまず初めに行く場所は、、、

◆ 六氏先生(芝山巌)

六氏先生とは、1895年に日本の台湾統治後にはじめて開校した学校である「芝山巌学堂(しざんがんがくどう)」に赴任した6人の日本人教師のことを言います。

1895年の当時の台湾は、「伝染病の地」とも呼ばれ、日本軍5万の約半数がマラリア、赤痢、コレラなどの病に冒されている状態でした。さらに日本が台湾を領有した直後ということもあり、治安が悪化し、暴動が頻発しておりました。

六氏先生は、いつ襲われてもおかしくない状況の中で「身に武器を持つことなく民衆の中に入っていかなければ、教育というものは出来るものではない。もし我々が襲われて、殉ずることがあっても、台湾子弟に日本国民としての精神を具体的に見せることができる」という言葉を残し、その場に居座ることを決めました。

その後、1896年の元旦にある事件が起こりました。それは、半日ゲリラが起き、地元の人たちは教師たちに避難を勧めたのですが、「死して余栄あり、実に死に甲斐あり」との覚悟を示して6人の先生たちは約100名のゲリラに襲われ、惨殺されました。 彼らの台湾の教育に賭ける犠牲精神は「芝山巌精神」と言われ、人々の間で語り継がれるようになり、芝山巌は「台湾教育の聖地」と称されています。

の「芝山巌精神」は当時の台湾教育者に多くの影響を与え、終戦時には識字率が92.5%に登り、後に台湾が経済発展をする基礎となりました。

ここでは、この六氏先生の教育に関して、語り継いでいる台湾人の方がいらっしゃいました。
その方が、この動画の唐さんです。

この動画でお話をされている唐さんは、「実のことを教えているのは自分だけ」という使命感に駆られ、来られる限りここに足を運び、六氏先生の真実を語り継いでいました。

昔は毎日のように姿を現しては、六氏先生の真実の話を語り継いでおられましたが、ご高齢のため、もはや会うことはできません。

しかし、この芝山巌に行けば、襟元を正され、気が引き締まり、日本人としての生き方を再び見つめ直すことになるでしょう。そして、この場所で六氏先生の真実を語り継いでくれた唐さんに心から感謝することになるでしょう。

◆景美人権文化園区/国家人権博物館

その後、景美人権文化園区/国家人権博物館を訪れます。
この場所は、二・二八事件に始まる、国民党政府の「白色テロ」の現場の保存、資料、文物などの収集・研究を目的として設置された場所であり、もともとは国民党政府が反政府的な行動をした無罪の者を政治犯として収容した場所であると同時に、裁判所でもありました。

収容されていた人たちの作業場、面会室、囚人房、食堂などが見学でき、面会室にある電話は、受話器を取ると当時の囚人と家族の会話が流れます。建物はほぼ当時そのままの状態で残っており、囚人房のところは非常に暗く、寒気がするほどです。

 

◆ 特別ゲスト講演
日台の絆を知り尽くした 文筆家 片倉佳史氏

3日目の午後は、このツアーでの学びをさらに深められる、3名の特別ゲストによる講演をご用意しています。

その一人目のゲストとは、台湾在住の文筆家 片倉佳史氏です。

片倉佳史氏
1969年、神奈川県生まれ。早稲田大学教育学部卒業後出版社勤務を経て台湾と関わる。台湾に残る日本時代の遺構を調査し記録している。地理・歴史・原住民のジャンルで執筆・撮影を続けており、これまでに手掛けてきた旅行ガイドブックは30冊を超える。グルメについては2009年までに大小300件のレストランを取材してきた。最近の著書は、『古写真が語る 台湾 日本統治時代の50年』(祥伝社)、『音鉄 – 耳で楽しむ鉄道の世界』(ワニブックス)など。

台湾の文化、歴史、魅力を語らせたら片倉氏の右に出る方はいません。日本・台湾を飛び回りながら年間40回の講演をこなし、執筆活動を精力的に行っている。その理由とは

「日本人は一方的に日本が台湾に何をしたかばかり見てしまうが、私はそれがおかしいと思っていて、台湾と接触することによって、日本人は何を学んだかという視点を常に持っていたい。

あとは、台湾を勉強することで、見えてくる日本というものがあるんです。同じく、台湾の人は日本を勉強してくれることによって、台湾とは何なのか、気づくことがある。お互いの情報交換をどんどんしていけたらいい」

「台湾の人は日本統治時代の50年に何を考えていて、どう生きていたかを取材して、それを日本人に伝えることが一番大切だ」

とおっしゃっています。

今回は日本人が絶対に知らない、メディアでも放映されない本当の台湾、台湾人について語っていただきます。

 

◆ 特別ゲスト講演
日本統治時代を知る生き証人 新亜旅行社 張幹男 会長

二人目のゲストは、世界最長の戒厳令下で政治活動や言論が弾圧され、市民の一方的な逮捕や投獄が横行した「白色テロ」の時代に、台湾独立派の日本語の冊子を翻訳しようとして「反乱罪」で逮捕され、28歳から36歳までの8年間、火焼島(現・緑島)の政治犯収容所で過ごされました。

張幹男(ちょう・みきお)氏

1930年(昭和5年)、台湾人の父と日本人の母の間に生まれる。新竹工業学校在学中に日本敗戦。1958年(昭和33年)、台湾独立派の日本語の冊子を翻訳しようとして「反乱罪」で逮捕され、28歳から36歳までの8年間、火焼島(現・緑島)の政治犯収容所で過ごす。出所後、日本語ガイドの仕事を見つけ、1970年(昭和45年)に自ら旅行会社を立ち上げて、島帰りの政治犯を受け入れた。会社は、ガイドと事務スタッフ計150人の規模に成長。現在、会長を務める。

張幹男氏は以前、BS朝日の番組「いま世界は」に出演した際、次のように語っています。

「日本が統治していた時代に戻ってきて欲しい」
「敗戦後、中国に接収されたが、祖国と思っていない人が98%」

それほどの愛日家である張幹男氏からは8年間に渡り政治犯生活を含めて下記の内容もお話いただく予定ですが、皆様に最高の体験をご提供できるよう、最後まで内容を精査します。

そして張幹男氏に30分間、あなたから直接質問することができます。張幹男氏にはここでしか話せない本音をお話しして頂く予定ですので、あなたが「ここを知りたい」と思う内容を、ぜひ張幹男氏にぶつけ、その貴重なアドバイスを持ち帰ってください。

 

◆ 李登輝氏元秘書 早川友久氏ご講演

残念ながら、李登輝元総統は2020年7月30日に永眠されました。もうお会いすることは叶いません。

そこで、李登輝総統の秘書として、世界最高のリーダーの息遣い、オーラ、人間性を肌で感じとり、リーダーシップの真髄を間近で見てきた、早川友久氏にご講演いただきます。

幾多の苦難を乗り越え、数々の改革を成し遂げたリーダーシップの本質と李登輝氏を支えた日本の教育、日本精神の根幹とは何かという内容もお話し頂く予定ですが、皆様に最高の体験をご提供できるよう、最後まで内容を精査します。

4日目 概要スケジュール

 

4日目の午前中は、まず初めに行く場所は、、、
◆ 李登輝元台湾総統 墓参

李登輝元台湾総統は、2020年7月30日にご逝去されました。

台湾民主化の父であり、世界最高の指導者と言われた李登輝氏のご冥福をお祈りするとともに、李登輝氏が日本や台湾に抱いていた思いを改めて胸に刻み、真の日本人として、真のリーダーとして、台湾と日本の関係を再興するため、決意を新たにいたします。

 

◆ 美しく正しい日本語を台湾に残す会(友愛グループ)

その後は、美しく正しい日本語を台湾に残す会(友愛グループ)を訪れます。
1992年に設立され、1999年から今の組織名「友愛グループ」となりました。

友愛グループでは、台湾で美しい日本語を守って後世へ伝えていこうと毎月一度、第3土曜日に行っています。

メンバーの大部分は、日本語教育を受けた台湾のご年配の方々で構成されており、2014年3月現在、会員数は132名、そのうち日本人が45名、平均年齢は76歳です。

日本人留学生や、在台日本人、あるいは日本からの旅行者が友愛グループの存在を聞き知り、オブザーバーとして3~4人、多い時は5~6人も参加されています。

日本語によるスピーチ発表会も毎月行なっており、俳句、短歌、川柳や日本語の「懐かしい昔の歌」を歌ったりしているそうです。

あなたは、不思議に思うかもしれません。「なぜ台湾にこのような会が存在するのか?」と。

もちろんそこには背景がありますが、ここでは伏せておきます。
ただ、この会が、国民党による戒厳令下で立ち上がり、「日本語を守る」などとはおおっぴらには言えない中で継続し、李登輝氏の総統就任を機に草の根的に広がり、今に至っているということの意味はきっとお分かり頂けるでしょう。

ぜひここで、台湾人に今も残る日本を肌で感じてください。

せっかくのこの機会にメンバーの方に聞きたいこともあると思いますので、一緒に会食できるようにいたしました。ぜひ日本の統治時代のお話を生で聞いたり、東日本大震災での支援に対する感謝の気持ちなどを伝えてください。

今までのツアーで、大変反響が大きかった内容となります。
この体験は、あなたにとって驚きの連続となることでしょう。

 

その後は、お土産店へ立ち寄り、午後のフライトで帰国、羽田・名古屋・福岡いずれかの空港に夜到着、解散となります。

*当日の混雑状況や不測の事態により、止むを得ず、見学場所などが変更になる場合がございます。予めご了承下さい。

 

 

以上が今回のスケジュールになりますが、この4日間で、あなたは、以下のものを得ることができます。

世界最高の指導者と呼ばれた、李登輝台湾元総統の本物のリーダーシップ、本物の日本精神について学ぶことができます
 
李登輝氏という偉人を育てた日本の偉人、その卓越したリーダーシップと日本精神に直に触れ、あなたの中に流れるDNA、「日本人とは何か」という本質に目覚めることができます
 
日本統治時代を知る生き証人であり、李登輝氏と同じ日本精神を宿した「元日本人」の先輩方から、日本人なら必ず知るべき歴史の真実、日本人としてあるべき生き様を学ぶことができます
 
台湾に長く在住し、李登輝氏や「元日本人」の先輩方とも直接接してきた李登輝元総統秘書・早川友久氏、「日勝生加賀屋旅館」元支配人・德光重人氏、文筆家・片倉佳史氏から、他では決して聞けない李登輝元総統の実像、台湾に生きた日本の偉人の実像、日本と台湾の絆、台湾の実像を直接学ぶことができます
 
さまざまな業界の最前線で活躍する実力者・著名人が名を連ねる志の高い参加者と人脈を構築し、4日間の時間を共にすることで、さらにその関係を深めることができます
 
先人の偉業に感謝を示し、それを今も忘れずにいてくれる台湾の人々に感謝を示し、日本と台湾の未来のために真の友好関係を築くための足がかりを作ることができます
 

これを手にすることは、あなたの人生にどれだけの価値をもたらすでしょうか?

今回の価格設定には、正直、かなり悩みました。

すでにご説明したツアーの全日程を組み、催行することは、当然それなりの費用もかかります。

実際、この企画について初めて発表した時、「最低50万円位にはすべき企画でしょ」というご意見を頂く方もいらっしゃいました。

ここに参加することで、あなたは人生のステージを二段階も三段階も引き上げられるだけでなく、他の人が一生かけても手に入らないかもしれない、かけがえのない財産を得ることができます。

それは文字通り、あなたの人生を変える最高の機会になるでしょう。

本当はその位の価格が妥当であると考えています。

実際、前回参加者の皆様に行ったアンケートでは、「今回のセミナーツアーはどれくらいの価値があったと思いますか?」という質問に対し、平均447,555円という回答でした。

そしてこの金額は年々上がっています。

さらに今回は、今までの5回よりも内容を充実し、さらに価値を高めてお届けします。

正直、運営上も、参加費を高額にして、ごく限られた方だけにご案内した方が、楽です。

しかし、

少しでも多くの方に李登輝氏の本物のリーダーシップを学んで頂くため、
氏を育てた日本の偉人の生き様に触れ、本物の日本人として目覚めていただくため、
日本をもっと強くし、日本と台湾の絆をもっと強くするため、

そうはしませんでした。

さんざん悩んだ挙句、今回のツアー参加費の定価は270,000円に決定しました。
この金額の中に、

・德光重人氏の講演セッション
・片倉佳史氏の講演セッション
・張幹男氏の講演セッション
・早川友久氏の講演セッション
・4日間のツアー料金(バス・新幹線費用・添乗員費用・入場料等)
・食事代(昼食3回・夕食2回)
・さらなる特典

が全て含まれます。(航空券代・ホテル代のみ別途(14万円前後))

さらに、10月20日までにお申し込み頂ければ240,000円でご参加頂けます。

正直、この価格では、50名集まっても赤字です。しかも人件費は計算に入れていません。

今回、自社の利益を削ってまでこの価格を提示する理由は、ただ一つです。

これは、お金を理由に諦めるには、あまりにもったいない機会だからです。
そして、時間を理由に諦めるにも、あまりにもったいない機会です。

この参加費が、「高い」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。
4日間の時間を空けることが難しいと思われる方もいらっしゃるかもしれません。

その気持ちも確かに分かります。
しかし、もしあなたがそんな風にお思いなら、一つだけお聞きしたいことがあります。

 

もし無料だったら、行きたいですか?

答えがYESなら、4日間の時間を投資する価値は感じていらっしゃるということだと思います。
では、それがどれだけの価値があるのかをぜひ考えてみてください。

もしあなたが今、この参加費を高いと感じていたとして、
あるいはこの日程でどうしても外せない都合があったとして、
今やらなければならない仕事があったとして、それと、

 

あなたの人生と、どちらが大切ですか?

この4日間は、文字通り、あなたの人生を変える最高の機会になるでしょう。
そしておそらく、一生に一度の幸運とさえ言える機会です。

ここであなたは自分の人生のステージを二段階も三段階も引き上げ、他の人が一生かけても手に入れられない、かけがえのない財産を得ることができるのです。

そしてそれは、一生涯にわたってあなたの人生を支えてくれる財産です。

多くの人が、「目の前のこと」に囚われてしまうあまり、人生にとって本当に大切なものを逃してしまいます。いや、逃していることにすら気づきません。

そして1年後も、3年後も、5年後も、10年後も、今と変わらない人生に甘んじてしまいます。

もしあなたが人生のステージを上げたいと本気でお思いなら、リーダーとして卓越した成果を上げたいと本気でお思いなら、ありきたりな人生で終わりたくないと本気でお思いなら、ぜひ「目の前のこと」ではなく、その先の人生に目を向けてください。

新しいリーダーシップの地平にたどり着いた時、見える世界が180度変わります。
本物の日本精神に触れ、あなたの中に眠るDNAに目覚めた時、桁違いの結果が得られます。

是非それを手にしてください。こんなチャンスは二度とありません。

 

カウントダウンタイマー

 

 

そして、特別なプレゼント

今回、李登輝氏の教えを永遠に残して頂くため、今回ツアーにご参加頂いた方に、特別なプレゼントをご用意しています。

特典①

今回ご参加の皆様全員に、2015年11月に収録した李登輝台湾元総統の講演と、今回の早川友久氏、片倉佳史氏、張幹男氏、日勝生加賀屋 德光元支配人による貴重な講演を全て収録したDVDをプレゼントします。

おそらく一生に一度のこの講演DVDを永久保存版の記念品とされるもよし、何度も復習してその本物のリーダーシップと本物の日本精神をあなたの中に落とし込むもよし、最大限にご活用ください。

このDVDが今後販売されることはありません。今回ご参加頂いた方のみが手にすることのできる特別な記念品です。

 

プラチナスポンサー特典①

さらに、あなたがこのツアーでの記憶を永遠の記録とするため、早川氏・片倉氏・張幹男氏・日勝生加賀屋 德光元支配人との記念写真(集合写真)も撮影し、全員にプレゼントいたします。

一生に一度の思い出として、是非いつまでも大切に保管してください。

 

プラチナスポンサー特典①

もしあなたが、台湾の日本統治時代に日本人が成し遂げた偉業や歴史についてあまり詳しくない、李登輝台湾元総統の成し遂げた偉業についてあまり詳しくない、という理由で参加を迷われているなら、ご安心ください。
ツアー参加までに、台湾の歴史や日本統治時代の歴史、日本人の偉業や李登輝氏の偉業について分かりやすく整理したビデオ映像を配信しますので、それをご覧になれば、講演やツアーをより深く理解することができます。

 

これら3つの特典も全て含めて、価格は変わりません。

李登輝元台湾総統をよく知る方々から直接学ぶことができる、おそらくは一生に一回の機会ですので、ぜひ今すぐお申し込み下さい。

 

 

カウントダウンタイマー

 

ご参考までに、これまでのツアーに参加された方のご感想をご紹介します。
是非合わせてご確認ください。

得難い出会いと経験に感謝いたします。
「本物」に自ら願って触れることの大切さを強く認識しました。

今後の自分の活動に、これらの経験が良い影響を及ぼすことと確認します。ビジネスと宗教が対立して見られがちかと思いますが「信仰」が重要なキーワードであったことは意味深いと思います。

 

友愛グループの方のお話を聞けたことが良かったです。
地元の人々と親しくお話できる機会を得られたのは貴重な体験でした。
台湾の人々が日本に対して本当はどのように思っているのか気になっていたので、そういった話も聞くことができて良かったです。

印象に残っているのが、終戦後、「国民党による抗日、また教育についてどう思ったか?」という質問に対して「抗日と言われてもピンとこなかったね。あの頃僕らは日本人だったから」とおっしゃったことです。この世代の方々にとっては新日とか反日とかいうレベルではなかったのだなと気付かされました。やはり当事者の生の声には強く心を動かされると思います。

 

反日の国、中国と韓国に囲まれた日本にあって、新日の台湾の人の心がどうあるのかを知りたくてこのツアーに参加した。

德光支配人の話を聞いて、自分の認識が全く違っていることを知りました。それは、台湾人は中国人ではないという事です。それと八田與一という偉大な先人がいたことも知りました。児玉源太郎や後藤新平のことは、本を読んだりして知っていましたが、ダム建設の一端を担う者にとって、恥ずかしい限りです。

今回のツアーに参加できて本当に良かったと思います。

 

今回素晴らしい機会をありがとうございました。この会に参加することができて良かったと思っています。

主人から台湾の旅行を言われた時はダム見てもと乗り気ではありませんでした。せっかく連れて行ってもらうのだからとガイドブックも買い調べましたが、記事も小さく日本人が作ったとは、わかりませんでした。リアルインサイトさんのHPの文を見て、この企画の目的がわかってきました。途中からですが、日本人の作ったダムの経緯を知りたいと思うようになりました。

ダムもそうですが、「美しい日本語を残す」と70年に渡り守って来られた友愛の会の方々の思いも知ることができて、とても良かったです。今まで知らなかったことです。

今まで沖縄、中国、韓国と行ってきましたが、日本はなんてひどいと思っていました。この台湾の旅で日本人ってすごいなと感じることができました。台湾も日本に侵略させた国と思っておりました。日本人として自信がつきました。ありがとうございました。

 

講話で、「自国を守るのは軍隊しか存在しないのに、なぜ、日本は国軍を持とうとしないのか?そのためには憲法改正は当たり前ではないか!東日本大震災で台湾は200億円の義捐金を送ったのに献花を菅直人はさせなかった。恥ずかしい事であり、中国に阿る勇気のない対応だった。その後で、安倍総理が台湾は大切な友人と言ってくれたことに感動した」という部分はとても示唆に富むものでありました。

アメリカに支配され、中国に恐怖を感じている日本人の奴隷根性、覇気勇気の欠如、友情を裏切る精神性の欠落を李登輝先生は厳しく指摘してくれたと感じました。まさに現在の平成日本人は日本に住んでいるだけの「まやかし人間」なのです。

だからこそ、「日本精神リップンチェンシン」が台湾人に生きていることを強調されたのだと感じました。この100年間、日本は欧米植民地の攻勢から懸命に自国を守ってきたが、 抗しきれなくなり、ABCD包囲網によって自国滅亡を防ぐために開戦に至った正確な歴史を後世に伝える義務と責任、勇気を奮い起さねばならないことを再認識するセミナーでした。

 

日本が過去に行った行動がいまの結果、台湾が豊かに暮らしていることを見てよかったと思いました。

いろいろ誹謗中傷されているなか、日本は間違っていなったことを実感しました。台湾がこれからも豊かに発展していくことを祈念いたします。

 

六氏先生(芝山巌)に行った際に偶然に出会った82歳の老人には感動した。
德光支配人は、尊敬できる人だと実感できました。

多くの方との出会えて良かったと感じております!と同時に自分の未熟さを感じました。
初めての海外旅行です!!大変有意義な経験でした。

 

台湾の歴史に深くふれることが出来、大変勉強になりました。真実の歴史を知り、改めて日本人として誇りを強く感じました。この真の歴史を日本人は、もっと知るべきだと思うし、日台国交の樹立を心から願います。

日本時代を知っているお年寄りは皆さまとても若くて元気でしたが、真実を語り継ぐという使命を持たれているからなのかと思いました。貴重な経験をさせていただき有難うございました。お世話になりました!

 

八田與一氏の鳥山頭ダム、総統府、美しい日本語を守る会の皆様との会食など、どれも本当に素晴らしい体験でした。

これを日本の子供達にどうしても体験させたいです。
社員旅行も台湾に変更です(笑)

 

今回の旅は、これまでとは違うものとなりました。台湾を知り、自分とはなにか?リーダーとして どうありたくて、何が使命かをみつめる旅で、何度も胸に込みあげてくるものがありました。

台湾と日本を結ぶ絆を紡いでいき、語り部の1人として、ここで出会った仲間と共に、行動します。

世界の広さを感じることが、德光先生、友愛グループの皆さんとの出会い、台湾でのご縁のおかげでできました。ありがとうございます。

德光先生のおもてなしの話が、とても印象に残りました。そして、八田さんの功績とその規模に、心底感動しました。

 

台湾がとても新日だとわかりましたし、統治50年の間に日本がいかにインフラ・教育に台湾の発展に役に立って台湾国民から喜ばれたのかよくわかりました。

日本の今の問題は、教育、国を守る思想であり、今の憲法では無理。プラザ合意以降、アジアの金が流出していっている問題等、課題が多いし、よくまだ理解できないし、することが多いなと思いました。

 

講演を聞き、歴史の知らないところの内容が色々と分かり大変良かったです。
日本と台湾との関係がどのような状態であるのかもわかり、大変良かったと思います。

德光さんのお話を聞き、人間として、人として、自分として、どのように生きていけば良いかが少し分かった様な気がします。

統治時代のお話を聞け、大変良かったです。

 

今回のツアーに参加でき、スタッフ一同に感謝します。

德光重人先生、友愛の会の講演会は、感動的で、今までの人生の中になかった、感情がこみあげ、一生忘れることはないと思います。

このような価値あるオリジナルツアーを実現したことに敬意を表します。

全体として参加して大変良かったと思います。

 

台湾の人が親日ということはネットや書籍で知っていましたが、台湾の人の生の声を聞きたいとずっと思っていました。李登輝総統のリーダー・指導者としての「ゆるぎない信仰」が必要という言葉が特に心に残りました。

德光さんや美しい日本語を守る会の人たちの話を聞き、もっと自分を磨き、歴史を学んでいこうという想いも新たにできました。

そして何よ勇気をり今回出会った同じ想いを共有できる人たちと出会えたことが一番の財産となったと感じております。

参加させて頂きありがとうございました。

 

この旅は親しく尊敬申し上げる李登輝先生の熱意とご実行のお話を伺うことができて、これまで以上に大きな感動を頂きました。

八田ダムの豊かな水量を見た時は、先人の偉大な人類愛、現地の繁栄に生命を捧げ尽したお姿に頭が下がるばかりです。德光様の「本物のおもてなし」を伝えるご至誠に敬服です。出会った同行した方々の素晴らしさ。これほど充実した企画を心より感謝申し上げます。

 

1回目のツアー参加者からのメッセージ

 

3回目のツアー参加者からのメッセージ

 

4回目のツアー参加者からのメッセージ

 

5回目のツアー参加者からのメッセージ

 

ぜひここにご参加して、あなたの人生を変えてください。
そしてともに、日本を、世界をもっとよくしていきましょう。 あなたのご参加を、心よりお待ちしています。

鳥内浩一

 

 

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特 典

① 李登輝台湾元総統・早川氏・片倉氏・張幹男氏・日勝生加賀屋 德光元支配人講演収録DVD
*李登輝台湾元総統の講演映像は2015年11月に収録したものになりますので、予めご了承ください。
② 早川氏・片倉氏・張幹男氏・日勝生加賀屋 德光元支配人との記念写真
③ 日本統治時代の歴史・李登輝氏の偉業が学べる予習用ビデオ映像

参加費

240,000円(不課税)【10月20日(日)までの早期割引価格】
別途、旅行代金(航空券代・ホテル代)がかかります。

270,000円(不課税)【定価】

*参加費には、下記が含まれています。
・李登輝台湾元総統 秘書早川友久氏ご講演参加費
・片倉氏・張幹男氏・日勝生加賀屋 德光元支配人講演会参加費
・4日間のツアー料金(バス・新幹線費用・添乗員費用・入場料等)
・食事代(昼食3回、夕食2回)
・上記3つの特典

旅行代金
(航空券代・ホテル代)

【羽田発着】133,500円(お一人/2名1室利用の場合)
【名古屋発着】146,500円(お一人/2名1室利用の場合)
【福岡発着】143,500円(お一人/2名1室利用の場合)

*旅行代金には、航空券代(往復エコノミークラス)、ホテル宿泊費(2名1室利用時・3泊分朝食付き)、燃油サーチャージ、現地入国税、日本国内空港施設使用料、現地空港送迎バス代、添乗員費用が含まれます。

*燃油サーチャージ代は、2024年8月1日現在のIATA公示レートをもとに算出しており、航空会社の申請により増減があった場合はその差額を徴収又は返金させて頂きます。

*一人部屋(シングル)をご希望の場合の追加料金は、42,000円(3泊)となります。

*本ツアーの催行は、旅行会社である株式会社船井総合研究所 東京本社に委託しております。お申込み後、株式会社船井総合研究所 東京本社より、ご旅行に関する詳細のご連絡と旅行代金のご請求をさせて頂きます。何卒、ご了承ください。

キャンセルポリシー

申込みから8日以内はキャンセル料は無料 8日経過以降はキャンセル料が発生いたします。
9月30日までキャンセル料は代金の25%
10月15日までキャンセル料は代金の50%
10月31日までキャンセル料は代金の75%
11月1日以降キャンセル料は代金の100%

主 催

企画・主催:株式会社リアルインサイト
催行:株式会社船井総合研究所 東京本社

 

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追伸:手遅れにならないうちに

すでにお伝えしたように、台湾の親日感情によって、われわれ現代の日本人は、感謝してもしきれないほど大きな恩恵を受けています。

そして、今日の親日台湾があるのは、かつて台湾に生きた日本の先人が残した偉業と、生き証人としてその歴史を語り継いでくれた台湾人の方々のご尽力の賜物です。

しかし、ここであなたは、不思議には思われないでしょうか?
なぜ台湾の人々は、これほどまでに日本を愛し、日本統治時代の歴史を語り継いでくれるのか?

もちろん、台湾で日本の先人が残した業績は、現代人が想像もつかないほど偉大なものです。

しかし、かつての日本は、台湾と同じことを、朝鮮半島の統治においても行っていました。
にも関わらず、両者の対日感情は天と地ほどの違いがあります。

もちろん、日本統治以前に遡る歴史的背景の違いや、「民族性」が理由に挙げられる場合もありますが、それ以上に、日本人が去った後に台湾人の方々を待ち受けていた、とても壮絶で、凄惨な、悲しい歴史が色濃く影響しています。

それは、すでに述べた通り、数多くの人々が虐殺され、人権が蹂躙され、世界最長とされる38年間もの間戒厳体制が敷かれ、国民党批判などしようものなら、日本統治時代のことなど口にしようものなら、逮捕・投獄・拷問され、殺害されかねない、暗黒の日々でした。

二・二八事件で国民党政府による残虐な殺戮によって殺害された台湾人は、2週間で2万8千人にも及びます。その後に続く戒厳令の間、国民党政府が摘発した政治事件は約3万件、逮捕・投獄された者は14万人、そのうち95%は冤罪と言われています。

国民党政府によって不当逮捕・監禁された上、公正な裁判もされず、生命までも奪われた受難者の数は16,132人にも及びます。そのうち1,226人が処刑されたといいます。

その壮絶な過去を乗り越えて、戦後79年以上経った今に至るまで、日本の先人の歴史を語り継いでくれ、感謝してもしきれない恩恵をわれわれに与えてくれた台湾人の方々に、これまで日本人は何をしてきたか。今の日本人は何をしているか。

台湾の方々は、その日本人のことをどんな風に思っているか。
多くの日本人は、その事実を知りません。知っていても、頭の中でしか知りません。

それを過去のツアーで目の当たりにした瞬間を収録した映像が、下記です。

この方は、今回のツアーでも訪れる芝山巌で、六氏先生や日本統治時代の歴史について語り継いでいた台湾人・唐さんですが、この唐さんと同じように、

日本人が去った後の暗黒時代を迎えた台湾人の方々、日本に国交を断絶された時の台湾人の方々、日本が解放した東南アジアの国々が戦後次々に独立を勝ち取っていく一方、独立国家として認められないままの台湾人の方々、中国共産党の顔色を伺って台湾をないがしろにする日本政府を見る時の台湾人の方々に共通する感情が、

日本に棄てられた

という感情です。
あるいは、李登輝元総統はじめ、「台湾は日本に片思いをしている」という言葉を発する台湾の方は多いです。

想像を絶するほど過酷な過去を乗り越えて、こんなにやるせない思いを抱きながらも、ずっと日本のことを愛してくれ、先人の歴史を守り続けてくれている台湾人の方々が背負っている過去を、私達日本人は、あまりに軽く考えているのではないでしょうか。

日本人が去った後の台湾の歴史を学ばなければ、私達日本人は、それに気づくことすらありません。

しかし、それなくしては、日本人は決して、台湾人の方々の心境を理解することはできず、その先にしか、日台の真の友好もありません。

私達が「本当の日本人」として目覚めることもできないでしょう。

これほどまでに日本を思ってくれ、尽くしてくれた方々に、こんな思いを抱かせたまま放置してしまっている今の日本人を、果たして日本人と呼べるのでしょうか。

私は、芝山巌で唐さんから、戦後、日本へ戻った日本人に対して、「家庭ならお父さんが事業に失敗して、我が子を捨てたのと一緒」という言葉を直接聞いた時、李登輝元総統から「台湾は日本に片思いをしている」という言葉を直接聞いた時、胸が痛くて締め付けられそうになりました。

そう教えてくれた李登輝元台湾総統とお会いすることももはや叶いません。

しかし、私はその経験ができただけよかったと思っています。

今、戦後79年が経過し、日本統治時代を直接経験している世代の方々が高齢となり、亡くなってしまわれる方も多くなっています。

実際、すでにご紹介した「世界一の愛日家」蔡焜燦氏も亡くなってしまわれましたし、先ほどご紹介した唐さんは認知症が進み、もう話を聞くことができません。友愛グループの方々も、いつまで直接お話が聞けるかは分かりません。

このことが意味することは何か。

歴史の生き証人であるこの方々から、真実の言葉を聞けなくなるばかりか、これほどまでに日本を思ってくれ、尽くしてくれた方々に、「台湾は日本に片思いをしている」「日本に棄てられた」と思われたまま、感謝の言葉を伝えることさえできないまま終わってしまうということです。
この世代の方々が、どれだけ過酷な状況の中で、日本の先人が残した功績を守り続けて来てくださったか、これ以上お伝えする必要はないでしょう。

私は、日本人として、そんな不義理の中に生きることに我慢できません。

台湾を訪れなければ、この日台の歴史を知らなければ、そんな不義理の中に生きているという自覚さえ、ありませんでした。

ぜひともに、台湾に、本来の日本を学びに行きましょう。

そして、台湾にいる「元日本人」の方々に、直接感謝の言葉を伝え、恩返しをしましょう。

台湾の方々の本当の思いに触れ、その過去に寄り添い、これからずっと共にあることを誓いましょう。

その経験が、必ずや、あなたの人生と、日本のこれからの未来を変えていくと信じています。
その思いに寄り添うことができる時間は、決して長くはありません。

ご一緒できるのを心より楽しみにしています。

 

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